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2006年9月24日 (日曜日)

旦那さまの気持

産休に入ってから2ヶ月。旦那さまも退院してブログももっと更新できるようになるかな~なんて思っていたのに、気付けば旦那さまの方がブログ更新をがんばっているような。。。

もう少しこまめにがんばらないと。

旦那さまはいつも記事を夜中に更新しています。その頃私はいつも夢の中。2階のベッドの隣にあるパソコンで旦那さまは一生懸命ブログを書いています。キーボードを打つのも初めの頃よりだいぶうまくなりました。

私が寝る前にパソコンに向かう旦那さま。翌朝私は楽しみに旦那さまのブログを見に行きます。

今日もいつものように朝起きてすぐ、夜中に更新された記事をみました。

やっぱり体が動かないこと、何もしてあげられないこと、に対して旦那さまがつらい思いをしているのだと、涙が出ました。

私の母も去年両手両足が不自由になって懸命にリハビリをしているとき、回復具合が急激によくなった後、停滞時期を迎えました。(ダイエットと同じですね。)そして母はよく「こんなこともできない・・・そんな自分が悔しい」と言っていました。当時歩くこともできず、一人でトイレにも行けない状態で、お料理なんてもってのほか、洗濯物を干すことにも人の何倍もの時間を要していました。家から一人で出ることもできず、かといって家の仕事もこなせない・・・母はそういう気持を口に出す人で、言うことで気持を発散させていたのだと思います。

ただ、旦那さまの場合はそういうことを口に出して発散する人ではありません。やはり我が家に人が来た時、私が妊娠しているために、重いものを運んでもらったりすることが多く、2階にものを取りに行く、飲み物や食べ物をリビングに運ぶ、といったことを周りの人に頼むことになります。

松葉杖歩行のために両手がふさがってしまい、日々の今までしていた"当たり前のこと"ができなくなる悔しさ、これは本人にしか分からないもどかしさだと思います。

母のこともあったのでそういう思いが旦那さまにもあるだろうということは察していました。そしてそれを口にすることのない旦那さまを心配もしていました。特に力仕事をしてあげたい。という気持とできない悔しさ。昨日の記事を見てやっぱり・・・と思いました。

病気を持ったとき、人は周りの人に何を求めるのかな?というのは母の介護の時からずっと考えていたことでした。なんて言ってあげればいいんだろう、何をしてあげたらいいんだろう。どこまでやってあげていいんだろう。って。

大きな病気になったことの有る人なら分かるかもしれないけれど、やっぱりそれって本人にしかわからない気持が沢山あってそれをどこまで周りの人が汲んであげられるかってことなのかな・・・それより今までとなんら変わりなく接するべきなのかな・・・

私の中で答えは未だに出ていません。きっと病気じゃない人には思いつかないような沢山の葛藤とかがあって、それをすべて理解するなんて言うのは無理だろう、ただ想像できる限りの相手の気持を考えてあげるべきだとは思います。だからってそれに対して何かができるわけではないんだけど。なんとも無力さを感じるけれど私にできることはそれくらいしかないのかな。。。って。

私もお腹が日ごとに大きくなり、慣れない自分の体がどこまで無理ができるのか分からず、少し無理をしてしまうとお腹が張ってしまったり、ひたすら眠くて横になっている時間が長くなったりしています。(というか妊婦ってなんでこんなに眠いのでしょう。。。)

それを見ている旦那さまには心配をかけてしまうことになります。

でも今はできないことの方が多くても、これからできることが増えていくと思って頑張って欲しい。そう思います。今は力仕事ができなくたって、病気に勝ってくれれば、笑顔でそこに居てくれればそれだけで十分なんです。

きっとそんなんじゃ旦那さまは納得できないだろうけど、リハビリはゆっくりでもいい、焦ってケガするよりも、何よりも一番に日々を旦那さまと一緒に過ごせることが幸せで、それだけでいいやって思います。

今は本当に私も周囲の人に甘えてばかりだけど、それは旦那さまが病気に勝つこと、私が元気な子を産むことが第一優先で、恩返しはその後十分にさせてもらいます!って気持で。

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2006年9月18日 (月曜日)

妊娠生活

私の妊娠生活も6ヶ月目に入りました。

振り返ればいろいろあったなぁ~精神的にも身体的にも。

旦那さまの入院とほぼ同時期に妊娠が分かり、転移・手術・退院・転移を繰り返し、前の記事にも書きましたが染色体異常の可能性も指摘されて、そのたびにショックを受けて不安定な精神状態になりつつも、ここまで元気に育ってくれた。チビタは元気な子に違いない。と信じるのみです。

私の場合つわりは軽いほうだったみたいです。家族にも「軽かったね」と再三言われます。

ただひたすら吐いた。。。食べ物の嗜好が変わったりにおいがダメな食べ物があるわけではなく、なんでも食べられる。でも吐いちゃう。喉を傷つけたようで血まで吐いたときは少しびびりました。吐き癖がついてるのかも。とギリギリまで吐かない様に我慢したりしてました。

それでも動けなくなるほどでもなく、電車に乗っていてどうしようもなく気持悪くなって途中下車するようなこともなく、仕事にも行ってたしお見舞いにもできるかぎり行っていました。

仕事中はつねにムカムカ。耐えられないときだけ会社のトイレでもどしたり。病院では食堂のにおいが気になってましたが旦那さまは抗癌剤の副作用で同じように気持悪いのと戦っていたので二人で乗り越えられた感じです。

一月の流産の影響なのか、下腹部が常に痛くて動くのがつらい。できるかぎり歩きたくない。だから仕事もちょくちょく休んでました。

今はひたすら眠いです。毎日7時間寝ていても必ず昼寝を2時間ほど。下手したら食っちゃ寝状態。でも体が寝ることを望んでいるんだ、寝れば寝るほどチビタが育っているんだ、と言い聞かせてよく寝てます。。。

会社通いとお見舞いとつわりとで一番つらいとき、旦那さまの会社の人が「懐妊祝い」と言ってくださった本がありました。

とても素敵な本で一月の流産の時にもこれを読んでいたら・・・と思ったほどです。妊婦生活を送っている人にはぜひオススメな本です。

一時期は産むかどうかも迷ったりしました。でも妊娠生活も折り返しに入り、今は残り約4ヶ月を笑顔で過ごして、元気な子を産みたいと思います。

旦那さまの免疫療法も始まりました。ただただこの治療が効くことを祈るのみです。旦那さまとチビタと3人で笑顔で幸せに生活できるることを信じて頑張っていきたいです。

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2006年9月15日 (金曜日)

羊水検査結果

水曜日、旦那さまと一緒に病院へ行きました。

羊水検査の検査結果を聞くためと胎児に異常がないか超音波検査をするためです。超音波検査は20分近くも行い、心臓や脳、腎臓など内臓に問題がないかを細かくチェックしました。

私は映像を見ながら「よくできてるな~」なんてのんきに考えていました。一つの生命体が自分の体の中で育っていくのが未だに不思議な感じです。

検査後、主治医の先生に「羊水検査の結果、超音波検査ともに異常ないですよ」といわれ、ほっと安心。

今週から6ヶ月に入り、いよいよお腹も大きくなってきて、胎動もかなり感じます。よく動くし、元気な子だと確信しました。

実は今回の染色体異常の可能性については今通っている病院より前に行っていた病院で指摘されました。その日は先生に転院のお願いをしに行く日で、外泊許可をもらった旦那さまと一緒に病院へ行ったのです。7月22日、12週4日のときでした。

先生はあっさりと「首のうしろに浮腫が見えるから染色体異常の可能性がある。」といいました。私が「染色体異常ってどういうことですか?」と聞くと医学書のようなものを出して見せながら「ダウン症を考えといたほうがいいでしょう。転院先の病院で羊水検査をしてもらってください。」と言われました。

私は涙が止まりませんでした。一方で冷静に”もしそうだったら・・・産めない”とも思いました。旦那さまはこれからも病気と付き合わなければなりません。それは子供が産まれてからも私が仕事を続けていくことを意味していました。仕事をしながら障害を持った子を育てていくことに限界を感じてしまったのです。

旦那さまはこのとき5日後に切断手術を控えていました。自分のことでもつらい時なのに・・・旦那さまは私に「泣きな。」と言って沢山泣かせてくれました。

翌週、転院先の病院へ行きました。転院先の病院の先生は穏やかに説明をしてくれました。

・浮腫が見えたということはあくまで染色体異常の確率が上がったということ(浮腫が見えても元気な子を産んでいる人は沢山いる)

・確率は通常の人の3倍になること(30歳の場合0.01%の確率が0.03%になる)

・あなたの年でこの程度の浮腫が見られるということは35歳の方で浮腫が見えない場合と同じ確率であること(出産時の年齢が上がれば確率は上がるため)

・羊水検査で流産してしまう確率も0.03%ほどあること

「よく旦那さんと相談して羊水検査をするか決めてください。羊水検査の危険性と胎児が染色体異常の可能性がトントンであるため、怖いのは羊水検査で問題なかったのに、流産してしまった。ということです。」

先生の説明を聞いてかなり気持が楽になりました。前の病院で言われたときよりずっと冷静に受けとめられました。
前の病院で染色体異常の可能性があると言われた時は、何もかもが自分のせいのように感じました。旦那さまの病気も私のせいだと思いました。今思えば少し鬱状態だったのかもしれません。

旦那さまと相談して少しでも不安要素を取り除くために羊水検査をすることに決めました。羊水検査は16週~18週の間でなければできないため、検査前にも何度か超音波検査をしていました。超音波を見る限り元気に動いている赤ちゃん。
心配していた浮腫も少しずつ小さくなっていました。先生も「大丈夫だと思うけどな~」とココロ強い言葉を何度もくれました。(先生は旦那さまの状態も理解してくれています。)
羊水検査の前に先生に性別を聞いたのはこの時点で「大丈夫!」と信じていたのかもしれません。(チビタと呼んでいることからお分かりとは思いますが男の子です。)

羊水検査は17週3日、旦那さまが退院して10日後に日帰り入院という形で行いました。お腹の広い範囲をイソジンで消毒してエコーで赤ちゃんの位置を確認しながらお腹に針をさして羊水を取ります。最初の局所麻酔の注射が痛い。。。
画像を見ようとする私に先生は「見ないほうがいいかな。緊張すると赤ちゃんが動いちゃうから。動いちゃって針が赤ちゃんに刺さっちゃうと困るから」という事で顔を背ける私。あとで看護士さんに聞くと、針をさしている間赤ちゃんはじっとしてたみたいです。

検査後はしばらく病院のベッドで安静にして1時間置きに心拍確認をしてくれます。
赤ちゃんに問題がないとわかって入院して6時間後に退院しました。
この日、家の中でまだ自由に動けない旦那さまと検査後極力安静が必要な私のために義母が家に来て家のことをやってくれました。
そして病院の送り迎えをご近所さんが。
暖かい人に囲まれて私達夫婦は成り立っているのだと痛感した日です。

羊水検査が無事に終わり、その後服用する薬の副作用に耐えながら、検査結果が出るまで3週間。長かった・・・でも良い検査結果が聞けて本当によかったと思います。

羊水検査をすることは「チビタを信じていないことになる。」とも思いました。私がチビタを信じなくちゃだめなのに。って。だから羊水検査の結果が出たとき、私はチビタに謝りました。「ごめんね。信じてあげられなくて。」

細かい異常の可能性をあげたらキリがありません。あとは本当にチビタが元気に育ってくれることを信じるのみです。

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2006年9月 9日 (土曜日)

新たな一歩

前回の記事で回りの方には沢山心配をかけてしまいました。暖かい励ましのコメントもいただきました。

おかげさまでいい加減泣いてばかりもいられない。。。前を向いて歩き出さなきゃ。旦那さまには生きてもらわなきゃ困る!とようやく私も旦那さまと同じ位置に立つことができました。

木曜日、旦那さまは義足のひざ選びをしました。「今までこんなことしたの初めてだよ。」と義足屋さんが言うほど多くの膝を持ってきて一つ一つ旦那さまに試着(?)させてくれました。旦那さまは初めて与えられたおもちゃに夢中になる子供のように2時間ずっと歩いていました。

まだ平行棒から手を離すことはできないけれども、また2本足で歩ける喜びをかみしめているのが分かりました。

なんでも器用にこなす彼に、先生も「初めてにしちゃぁ上出来だよ。しかもこのインテリジェントで。」とお褒めの言葉。

インテリジェントというのは単軸の膝で膝の安定性が悪く、膝折れがしやすいのです。つまり切断した側の足でこの膝をうまく操らなければいけないのです。安定性が悪いというのは逆に言えば運動範囲が広がることを意味します。安定した膝で膝折れがしにくいものは逆に運動が制限されることになるのです。

旦那さまは5種類もの膝を試した上で、迷わずこのインテリジェントを選びました。ウインドサーフィンをやりたいという強い気持と、自分に厳しくチャレンジしていこうという姿勢があります。頼もしいと思いました。彼の強さに感動しました。

旦那さまは水曜日から抗癌剤治療のための入院に入り、抗癌剤を行う予定でした。ところが入院前日、自家ガンワクチンという治療法をある雑誌から知りました。これは簡単にいうと手術で摘出した癌細胞からオーダーメイドでワクチンを作りそれを3度にわけて注射するという免疫療法の一つです。もちろん自由診療になります。

抗癌剤とこの自家ガンワクチンどちらを先にすべきか悩みましたが旦那さまと話合い、主治医の先生にも相談して先に自家ガンワクチンをすることを決めました。旦那さまの主治医の先生は本当にすばらしい方で、私達の気持を非常に尊重してくれました。自家ガンワクチンをやるには手術で摘出した癌細胞が必要です。また免疫療法を行うクリニックで資料としてCTや経過報告(紹介状)も必要になります。これらを先生はすぐに用意してくださいました。(後で聞くとなかなか提供してくれない病院も多いようです。)

たった一日の入院で先生方や病棟の看護士さんには人騒がせな患者だったと思います。それでも皆さん快く協力してくださいました。軟部肉腫において日本で一番のチームに出会いながらさらに免疫療法を試すというわがままな私達に本当によくしてくださいました。

自家ガンワクチンの治療を約2ヶ月した後には再度この病院に抗癌剤治療をお願いし、今後の経過観察においてもお世話になる予定です。本当によい病院にめぐり合えたと感謝の気持で一杯です。

自家ガンワクチンについてはいろいろなめぐり合わせが重なって知った治療法でした。温熱療法やサプリメント(フコイダンとか・・・)NK細胞を増やす養子免疫療法、丸山ワクチンなどこれまでいろいろ調べて試そうとしていた中で、私も旦那さまも”これだ!”と飛びついたのがこの治療法です。

来週の金曜日からワクチン投与が始まります。良い結果がでると信じて治療していきたいと思います。

昨日は私の30歳の誕生日でした。これまで旦那さまは必ずサプライズを用意して私の誕生日をお祝いしてくれました。今年はそういうことを用意できなかった旦那さまは悔しい思い、申し訳ない思いがあったかもしれません。特に「節目の年だ・・・」と何度も言っていましたから。

でも朝起きてすぐに「おめでとう」って言ってくれたこと、旦那さまと二人で小さなケーキを買って紅茶で乾杯したこと、今日の朝起きたら会社の封筒をカード代わりにバースデーカードを用意してくれたこと、すべてが本当にココロのこもった贈り物でした。友人からのお祝いメールも沢山もらいましたがやっぱり旦那さまにお祝いしてもらうのが一番の幸せだと思いました。旦那さま、ありがとう。私は幸せ者だよ。

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2006年9月 6日 (水曜日)

強くならなきゃ

「実はこの間のCTで肺に影があったんだよ。」

先生から話を聞いたとき、私は暗闇に一人取り残されたような感覚に襲われました。隣にいる旦那さまの表情は見えません。

10万人に2人と言われる軟部肉腫。そのなかでも症例数としては2%ほどしかないといわれる類上皮肉腫を体に抱えてしまった旦那さま。

この腫瘍の特徴は抗癌剤が効きにくいこと。そして転移しやすいこと。切断手術前の抗癌剤3種類はどれも効果的な結果はでませんでした。

その上で切断手術を決断し、必死に前を向いて再発を防ごうとしたところのショックな先生の言葉でした。先生からは抗癌剤をやってみましょう。とのことでした。珍しい腫瘍である以上、先生としては手探りで旦那さまに合う抗癌剤を探すということです。

肺への転移。それはどうしても受け入れられないことだけれども、命に関わることであると感じました。

私の姉からは以前より「肺へ転移してしまった場合には一人になることを覚悟しなくちゃいけない。」と言われていたのです。

でもこんなに元気なのに。そんな・・・旦那さまがいなくなっちゃうなんて・・・どうしても受け入れられない。信じられない。そんなわけない。覚悟なんてできるわけがありません。転移を聞いた日から今でも涙が止まることはありません。

私の母と姉からは肺への転移がわかった時点でお腹の子を「産むべきではない」とはっきり言われました。

それはもし一人になったときの私の苦労を考えての言葉です。それは分かっています。決して悪意がないことも。でも私にはそれを冷静に考えられる余裕なんてありません。

旦那さまのブログ(よにんべや)にもありましたが実は先月からお腹の子に染色体異常の可能性があることを病院から指摘されていました。旦那さまの手術前でしたが旦那さまが障害を持つことは既に覚悟していた時なので、障害を抱えて生まれてくる子を育てる自信が正直私にはありませんでした。だから羊水検査をすることを決めました。お腹の子を信じ切れなくて試すようなことだったし、流産の危険性もあったので迷いましたが旦那さまにも相談して羊水検査を受けたのです。そしてもし検査結果で悪い結果が出た場合は・・・あきらめようと思っていました。

まだ羊水検査の詳細な結果は出ていません。ただ先週病院に行ったところ8割方大丈夫ということでした。しかし不安がすべて払拭されたわけではありません。染色体異常の可能性の所見というのは胎児の首の後ろに浮腫が見られることなのですが、それがある場合第一に胎児の染色体異常の可能性、そしてもし染色体異常でない場合にも心臓奇形などの可能性も孕んでいるのです。もちろん浮腫が見えたとしてもまったく健康に生まれてくる場合がほとんどですが。(通常浮腫の所見は3ミリ以上で注意が必要ということになりますが、私の場合は3.3ミリでした)

でも羊水検査の結果が何も問題なければ生もうと決めていました。ただ母は染色体異常じゃなくても障害の可能性があるならあきらめて欲しい。というようなことを何度か言ってきました。そのたびに私は母と衝突しました。障害が100%ないと確証できることはありません。あとは子供を信じるしかないのですから。

母からしたら、もしも一人になったときに障害児を育てることは大変だから今回は・・・ということだと思います。母や姉の言うことも分かります。正直私ももしも一人になってしまったら健常な子であっても育てていく自信なんて今はまだありません。でも羊水検査で異常がないのならこの子をあきらめるということはどうしてもできない。旦那さまの遺伝子を残したい。

旦那さまにもすべてを話しました。母や姉が言っていることも。旦那さまは「おれは生きるよ」と言ってくれました。本人がこれほど前向きに病気と戦おうとしているときに私は何を言ってしまったのだろう・・・

姉の言うような覚悟なんて私にはできないし、まだ親として子供を育てていく自信もありません。でもなによりも旦那さまの子を今あきらめることはどうしてもできない。正直、気持がまだ揺れ動いているのも確かです。不安で不安でどうしようもなくて、怖くてたまらないのです。

でも旦那さまは、本人はもっと怖いと思います。私には想像できないほどの気持だと思います。

今でもふとしたときにどうしようもない恐怖や不安で涙が止まらなくなります。でももう旦那さまと一緒に病気と向き合って闘うしか道がないのです。

今回旦那さまには本当に申し訳ないほど、私は取り乱して泣きじゃくってしまいました。旦那さまからしたら自分の方が・・・というときなのに。。。

ごめんね、今はまだ強くなりきれていないけれど、旦那さまを支えて行くから。もう少し時間をください。私も強くなるから。チビ太(お腹の子を旦那さまはこう呼びます)も頼りないお母さんでごめんね。でももう少し時間をちょうだい。ちゃんと強くなるから。

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