2007年7月12日 (木曜日)

するかしないか

先日友人の家で定期的に行われているHomePartyに久々に参加しました。

もちろんチビタを連れて。

20時くらいから寝る習慣のあるチビタは友人宅の和室ですやすや。。。

なんとなく話は妊娠・出産そして子育てのことに。

友人の多くは私の妊娠中の経緯を知っています。

染色体異常の可能性を指摘され、羊水検査をしたことも。

そこで、果たして羊水検査は必要か?という話になりました。

私の場合は先生から指摘され、旦那さまの状況もあったので流産という大きなリスクを抱えつつも羊水検査を行う決断をしました。

それはどうなのか?

もし染色体異常ならどうするつもりだったのか?などなど。

今年31歳になる同級生の友人達は高齢出産というのが頭にあるのです。

まだ結婚していない(予定もない)。いつ子どもを産むかもわからない。

でも子どもはいずれ欲しい。

35歳を超えると染色体異常などの可能性は一気に上がります。

それを考えるとやはり不安があるというのです。

で、羊水検査をするかしないか。自分ならどうするか。という話でした。

私は決して羊水検査を人に勧める気はありません。

自分でもあの時点で羊水検査をしたことがよかったのかどうか、未だに分かりません。

今となっては流産のリスクと染色体異常の可能性の割合が同じくらいだったのによく決断したな。と思います。

そのときの精神状態は普通じゃなかったのかもしれない。

旦那さまのこともあってパニックをおこしていたのは確かです。

ただ、医師である友人が言いました。

私は絶対に検査をする。と。胎児の首に浮腫が見えようが見えまいが。

自分の生活、生まれてくる子どもの生活を考えるとしたほうが幸せだと。

それはもし羊水検査の結果染色体異常だった場合、その子をあきらめるということでした。

何が正しくて何が正しくないかなんて分からないけれど、それを言い切ってしまう彼女に少し違和感を覚えました。でも否定することもできなかった。。。

ただ、私が妊娠中に染色体異常を指摘されたことは未だに心にひっかかっていて、これからチビタに何か異常が見つかってしまうのではないか?という不安を常に抱えているのは事実です。

旦那さまもめずらしい病気だったし、それが遺伝してしまっていたら・・・と考えてしまうのです。

そんなこと考えてはいけない。とは分かっているけれど、

心ない人に

「胎児のとき首に浮腫があった子は自閉症の可能性も」

なんてでたらめなことをいわれたことがまだ引っかかっているんです。

もちろん、そんなことはまったくなくて、関係ないってことは調べて分かっているけれど、不安はぬぐえません。

正直チビタの成長をそんな不安を抱えて見守るのはつらいし、母親が信じなくてどうする!!っていうのも分かっています。

親の不安は子どもにも伝わるというし。病は気から、とも言うし。

だからできるだけ考えないようにはしているのですが、こういう話を聞くとやはり不安がよみがえります。

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2007年1月30日 (火曜日)

いよいよです

今日は出産予定日でもあり、旦那さまの初めての月命日でもありました。

10年ほど前に叔父を亡くした叔母がわざわざ北海道からお線香をあげにきてくれました。

叔母は、

「夫を亡くしたつらさ・・・これはきっと経験した人でないと分からない。」

「私は60歳の時だったから。。。あなたがその半分の若さであのつらさを経験するなんて・・・」と涙を流してくれました。

こう言って話しはじめた叔母の言葉を私はとても素直に聞くことができました。

今の気持。今後のこと。

叔母は「一人でがんばろうなんて思わないこと」としきりに言ってきました。ここ2・3日、ひどく孤独感と虚脱感を感じていた私に気付いたのでしょうか・・・

いてもたってもいられないほど不安定な精神状態だったのが少し楽になったように思います。

結局、お腹の子は予定日の今日まで生まれる気配はなく、いよいよ明日入院して明後日出産となります。

入院前に叔母と話しができたのはよかったと思いました。

今は出産に専念しなくちゃ。

旦那さまがきっと見守っていてくれる。だから元気な子が生まれてくると信じて。

1週間後、退院して落着いたらこのブログで嬉しい報告ができることを信じて。。。

がんばってきます!

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2007年1月13日 (土曜日)

妊娠37週

いよいよいつ生まれてもいい時期に入りました。

年末からのバタバタで周囲から「だいぶ下がってきているから(生まれるのが)早いかもね。」なんて言われていました。

年明け初の妊婦検診。

旦那さまが立会いを希望して計画出産を予定していましたが、旦那さまが天国へ行ってしまった今、計画出産である必要がなくなりました。

旦那さまは「俺がこういう状況じゃなければできるだけ自然に産んでほしいと思う」と言っていました。だから私は極力自然の流れに任せようと思い、検診の日、先生にそのことを話そうと思っていました。もちろん主治医の先生は旦那さまが年末に亡くなったことなど知るはずがありません。なんとなく気が重いまま病院へ向かいました。

診察室に入ると、先生が「立会いクラス、結局出れなかったけど、もう旦那さん立ち会えるようにしてるから。安心して。」と言ってくれました。立会いを強く希望していた旦那さまの気持を汲み取ってしてくださった配慮でした。ありがたくて涙が出そうでした。通常なら立会いクラスに参加しないと立会いできないはずです。すべてを先生にお話していたので特別にそうしてくださったのです。

でも「実は主人が年末に亡くなったんです・・・」と話すと先生は驚いた様子で「そっか・・・じゃぁ、がんばらなきゃね。」と言ってくださいました。計画出産でなく自然に任せることもお話しました。

ただ1つの気がかりが四十九日法要と私の出産・入院が重なることでした。そのことも含め、先生に相談しました。初産だから予定日より遅くなるかもしれない。そうすると法要の日と重なるかもしれない。こればっかりは先生もなんとも言えないようでした。

でも法要をやらないわけにはいけませんし、法要の時に私が居ないわけにもいきません。

先生と出した結論は予定日を過ぎてしまった場合はすぐに計画出産にして法要までにはぎりぎり退院できるようにしよう。ということでした。

いずれにしても予定日を1週間以上過ぎると促進剤を使うことになるそうです。ただ私の場合1週間以上すぎてからでは四十九日法要の日と重なってしまいます。だからその時期を1週間早めてしまおう。ということでした。

やむを得ない。。。予定日までに自然に出てきてくれればそれで良し。そうじゃなければこればっかりは旦那さまも許してくれるでしょう。

お腹の子は相変わらず良く動いています。お腹の子のおかげでどんなに落ち込んでいてもお腹が空きます。

チビタに早く逢いたい。今はそれだけです。先生は私を気遣っていつもより長めにエコーでチビタを見せてくれました。チビタはエコーで見る限りとても元気そうでした。

少しずつ気持が落着いてきているものの、音楽を聴いたり、家の近所を歩くだけで旦那さまの姿や声がよみがえってきます。

2006年12月26日

この日は旦那さまのお母様とお姉さん・弟さんを呼び出し、4人で改めて先生から話を聞きました。

昨日よりいくらか冷静に詳細な状態を聞くことができました。やはり便が出ないことには腹水も溜まっていて身体に水分や食べ物を摂取することができないということでした。ここ2・3日中にお腹を動かす注射をするからそれによって便が出れば少し安心できるけど・・・ということでした。

人工呼吸器については旦那さまのお母様は結局これまでがんばってきた私の決めたことに従うということでした。

旦那さまのお父様が肺癌で亡くなったとき、旦那さまは同様の選択を長男として迫られたそうです。そのとき、旦那さまは人工呼吸器はしてほしくない。と言ったそうです。それはお父様の意に反することだから。と言って。

私は先生から言われたとき、もちろん、一日でも長く生きてほしい。と思いました。でもそれは旦那さまが苦しく無い状態で、生まれてくる子とコミュニケーションを取れる状態であることに意味があると思いました。

私は先生に人工呼吸器は使わなくていい。と話ました。

万が一呼吸困難に陥った場合、とにかく旦那さまの苦しみを緩和してあげてほしい。それが一番の希望だったのです。

お腹の子を旦那さまは抱くことができないかもしれない。

考えただけで、旦那さまがどれほど無念か・・・涙が止まりませんでした。せめてお腹の子が歩く頃までは・・・とも思っていました。いや、せめて抱かせてあげたい。。。

でも現実を突きつけられてしまいました。

肺に転移した頃から少しずつ覚悟しなければ・・・と思ってきました。

でもそんな覚悟はできるわけがありませんでした。

だって、先生にそういわれた時でも、まだ奇跡が起きるのではないかと思っていたのです。

1月から始める遺伝子治療薬も試せるんじゃないか。それで劇的に回復したりしないか。

あきらめきれないんです。

せめて旦那さまとお腹の子を会わせてあげたい。そう強く思いました。

旦那さまの前ではできるだけ涙を見せまいとしていても一人になった瞬間涙がとまらなくなります。

周りの人は「ためこまないで」って言うけど、別に吐き出したところで事態が変わるわけじゃない。「何でも言って」って言われても・・・じゃぁ、旦那さまを助けてよ。ってなっちゃう。

下手になぐさめられるくらいなら一人でいたほうが楽だと思いました。

ただ、旦那さまの会社のボスに私はいつも泣きながら電話をしてしまったけれど、そのたびに「大丈夫」って言ってくれました。

こうなってみて思うのは下手ななぐさめなんていらない。ただ大きな声で「大丈夫」って。なんの根拠がなくても、無責任かもしれなくても、そう言ってもらえたのが私は一番嬉しかった。それだけでなんとか気持を取り戻せていました。

だって旦那さまの傍に居て様子を見ていると嫌でも嫌な考えが頭をよぎるんです。そこに追い討ちを掛けられるより、気休めと分かっていても「大丈夫」って言ってもらったほうがいい。

まだ信じられない、見ていて旦那さまはすごくつらそうだけど、それでも信じられない。旦那さまが死ぬなんて・・・

いつか受け止められるときがくるんだろうか・・・想像できないよ。

旦那さまは既に痛みでベッドに横になることすらできない状態でした。緩和のためのモルヒネの座薬がこの日から始まりました。それでも身の置き所がなく、ストレスがピークに達しているのを感じました。

「ちくしょー」と言って布団やベッドを殴っていました。

床ずれ防止の病院のベッドマットが気に入らないと言い、看護士さんにわがままを言ってマットを変えてもらいました。

また、病院側が「年末年始は家に帰してあげたい」と言ってくれていることを伝えると「患者を帰して(自分が)休みたいんだろ」と悪態をついていました。

これまで見たことの無い旦那さまに正直戸惑いました。

これほど旦那さまは追い詰められているのに、私は何もしてあげることができないんだな・・・

この日、私は後ろ髪を引かれる思いで旦那さまの病室をあとにしました。

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2006年12月14日 (木曜日)

母親学級

今日はマタニティクラスがありました。

妊娠9ヶ月に入り、初めての「母親学級」ってやつです。

なんだかんだで家を4時間以上空けることになるので、旦那さまのお姉さんに家に居てもらい、私は病院へ。

分娩時の呼吸法やら赤ちゃんが出てくるときの状態、乳房管理指導、他のママ達との座談会、先輩ママが赤ちゃんと一緒に自分の経験談を話してくれたり・・・内容盛りだくさんの2時間半でした。

あ~いよいよなんだなぁ。。。

旦那さまは立会いを希望しています。でも私が行っている病院では立会いクラスを受講しないと立会い分娩は不可能です。

その立会いクラスは約2時間程度講習を受けるらしいのですが、今の旦那さまの状態で2時間座って話を聞くことは難しい・・・

旦那さまの病状をすべてお話している主治医の先生に相談したところ、私達だけのために特別に時間を短縮して講習(説明会)をしてくれることになりました。本来なら月1回しか実施していない立会いクラスですが、特別に旦那さまと一緒に来週受けてきます。

私が出産のために1週間ほど入院する間、旦那さまは家に一人になります。その間、義母に来てもらうか、旦那さまも入院するか、今迷っているところです。

病院にいるストレスを考えたら義母に来てもらったほうがいいのかな・・・

いずれにしても、今の我が家の状態では私の出産もある程度計画的にせざるを得ません。

もともと、旦那さまの状態を知っている先生に、「主人が立会いを希望していて・・・」という話をしたところ、「旦那さんの状態のいいときの方がいいし、夜中とかじゃつらいよね。計画出産という選択肢もあるよ。」と言われました。

計画出産とは・・・いわゆる陣痛促進剤を使って、ある程度出産の時間をコントロールするというものです。

はじめ、私も旦那さまも子どもの誕生日を決めてしまうことはいかがなものか・・・促進剤の副作用っていろいろ聞くけど大丈夫なのか・・・悩みました。

先生からは

・薬を使う以上100%大丈夫とはもちろん言えない。

・ただ、日常的に我々医師は促進剤を使っていて、使い方を間違わなければ世間で言われているほどの危険性は無いと考えている。(使用時は様子を見ながら薬を使う)

・飛行機は落ちる可能性があるから、飛行機で旅行に行かない。というレベルの話になってしまう。

・後は二人の気持次第。

というお話でした。

旦那さまといろいろ相談した結果、うちの場合、周りの家族のサポートが必須になるため、私の入院日が決まっていることのメリットをとって、計画出産にすることにしました。

昨日の検診で、おなかの張りを指摘され、少し予定日より早くなるかもしれないとのことで、おそらく来年1月半ばくらいでの出産になりそうです。

赤ちゃんの様子を見ながら最終的な出産日を決めることになります。

産科の先生を始め、出産に関しての不安を取り除くために周囲が色々と動いてくれています。

今はとにかく赤ちゃんが元気に産まれることを祈るばかりです。

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2006年12月10日 (日曜日)

ありがとう

まもなく妊娠33週。
いよいよ9ヶ月に入っています。

先月の超音波検査でチビタの顔を久しぶりに見ることができました。
約2ヶ月ぶりに見たチビタは肉付きも良くなって人間らしくなっていました。
もう1400グラムくらいありました。標準サイズだそうです。今はもっと大きくなっているかな。

このチビタの顔が、なんとも大人顔でおどろきました。
そして鼻は旦那さまにそっくり。
全体の顔は私似で鼻だけ旦那さま???
出てきた瞬間から「どうも~」と敬語で挨拶してきそうな表情です。
赤ちゃんぽい顔とはとても言えない。。。

あ~~~早く会いたい!!

お腹がだいぶ大きくなって動きにくくなってきました。少し太りすぎかも。と反省しつつ、湧き出る食欲を抑えられない・・・

旦那さまが食欲なくて食べられない分、残ったものをついつい食べてしまい・・・
産後に後悔することは目に見えているから今からでも制御しないといけません。
わかっちゃいるけど・・・

11月の旦那さまの入院から精神的に不安定なのを自覚していた私に、友人が次から次へと手を差し伸べてくれました。

私の友人達は普段はあまりベタベタとくっついてくるタイプではないのですが、あるとき突然お見舞いの品を送ってきてくれたりします。
そして、つい2週間前には友人の一人が「病院通いでろくな食生活をしていない私とチビタの為に。」とお弁当を冷凍便で送ってきてくれました。しかも5食分。
もともと料理好きの子で、味も本格的。栄養バランスもばっちりなものばかりです。

そして今週、第二弾!と言って別の友人がまたも冷凍便でおかずや手作りチーズケーキを送ってきてくれました。

もし私が友人側の立場だったら・・・こんなマメなことできないな。と思うと、本当にありがたくて涙が出てきそうでした。

今日は旦那さまの友達が突然我が家に様子を見に来てくれました。
そして昨日も旦那さまの弟に雨の中車の中の荷物を整理してもらったり・・・

今はとにかく沢山の人に「ありがとう」を言いたいです。
誰かに見守られている安心感、遠くからでも支えられているという感覚、ココロが穏やかになるひと時です。

旦那さまの呼吸は相変わらず苦しそうです。
もしかしたら前より苦しくなっているかもしれません。
2階の寝室へ上がるだけでも一苦労。階段を上った後の呼吸の乱れは本当に見ていられないほどです。
寝ているときも咳で目を覚まします。呼吸ができなくなって苦しくて起き上がるようです。
1階で寝ることを考えないと。。。

もう、家に旦那さまを一人にすることすら怖くなっています。
神経質になりすぎかもしれないけれど、誰もいないときに苦しくなったら・・・と思うと一人にできない。
いよいよ義母に助けを求めることになりそうです。

少しずつだけど食欲は戻ってきているので、できる限りのフォロー体制をして、体力を戻していこうと思います。

毎日おなかの子に話かけています。「パパを応援してね。」って。

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2006年10月23日 (月曜日)

妊娠26週目

旦那さまの調子は週末からあまりよくありません。血痰が出たり咳き込むことが多くなりました。あばらの痛みもあるようです。

ついつい心配で「大丈夫?」と何度も聞いてしまいます。

旦那さまがわずらわしく感じていると分かっていても。。。

自家がんワクチンも最後の3回目の注射が終わりました。あとは本当に効果を期待するばかりです。

今日は久しぶりに妊婦生活について。

今日で妊娠26週に入ります。

7ヶ月半にして既に体重も5キロ増。どうにか産むまでに8キロ増までに抑えたいと思っていても、3時間置きにお腹がすいてしまう。。。そして特に餡子が食べたくて。

妊娠すると身体は日々変化していきます。女性はいつも「若く綺麗でいたい」と願い、ダイエットをすることもあるけれど、母になるときは必ず大きなお腹を抱えます。

なんとも母になるというのは覚悟が必要なことなんだと感じてしまいます。笑

旦那さまはこまめにお腹の赤ちゃんに声をかけ、大きくなってきた私のお腹にキスをしてくれます。「おはよう」「元気か?」「おやすみ」「早く出てこ~い」

「いやいや、まだ出てこられちゃ困るから」と私。

こんなやりとりをしているとココロが満たされている自分に気付きます。

私は流産して以来、その後遺症(?)からかずっと下腹部痛があり、それは妊娠が判明してからも続きました。流産したときの感覚がよみがえってきては不安で過ごしていました。

唯一病院で見るエコーで元気に動く赤ちゃんを見てほっとしていました。

そして旦那さまの病気の告知・入院と精神的にも乱れる日々が続いていて、子どもが元気に育つのかとにかく不安でした。

つわりが比較的軽くおさまったのも正直、それどころではなかったんだと思います。

その頃はまだ仕事もしていたし、仕事と病院の行き来でつわりで寝込んでなんていられなかったんだと思います。まだペーパードライバーで運転して病院へ行くなんてできなかったですし。

今思えば妊娠初期の不安定な時期にあれだけ色々なことがあって、それでも元気に育ってくれたんだから、きっとこの子は健康に生まれてくるだろう。と思います。

早く顔が見たいけど、まだまだお腹でママの栄養一杯とって大きくなってね。

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2006年9月24日 (日曜日)

旦那さまの気持

産休に入ってから2ヶ月。旦那さまも退院してブログももっと更新できるようになるかな~なんて思っていたのに、気付けば旦那さまの方がブログ更新をがんばっているような。。。

もう少しこまめにがんばらないと。

旦那さまはいつも記事を夜中に更新しています。その頃私はいつも夢の中。2階のベッドの隣にあるパソコンで旦那さまは一生懸命ブログを書いています。キーボードを打つのも初めの頃よりだいぶうまくなりました。

私が寝る前にパソコンに向かう旦那さま。翌朝私は楽しみに旦那さまのブログを見に行きます。

今日もいつものように朝起きてすぐ、夜中に更新された記事をみました。

やっぱり体が動かないこと、何もしてあげられないこと、に対して旦那さまがつらい思いをしているのだと、涙が出ました。

私の母も去年両手両足が不自由になって懸命にリハビリをしているとき、回復具合が急激によくなった後、停滞時期を迎えました。(ダイエットと同じですね。)そして母はよく「こんなこともできない・・・そんな自分が悔しい」と言っていました。当時歩くこともできず、一人でトイレにも行けない状態で、お料理なんてもってのほか、洗濯物を干すことにも人の何倍もの時間を要していました。家から一人で出ることもできず、かといって家の仕事もこなせない・・・母はそういう気持を口に出す人で、言うことで気持を発散させていたのだと思います。

ただ、旦那さまの場合はそういうことを口に出して発散する人ではありません。やはり我が家に人が来た時、私が妊娠しているために、重いものを運んでもらったりすることが多く、2階にものを取りに行く、飲み物や食べ物をリビングに運ぶ、といったことを周りの人に頼むことになります。

松葉杖歩行のために両手がふさがってしまい、日々の今までしていた"当たり前のこと"ができなくなる悔しさ、これは本人にしか分からないもどかしさだと思います。

母のこともあったのでそういう思いが旦那さまにもあるだろうということは察していました。そしてそれを口にすることのない旦那さまを心配もしていました。特に力仕事をしてあげたい。という気持とできない悔しさ。昨日の記事を見てやっぱり・・・と思いました。

病気を持ったとき、人は周りの人に何を求めるのかな?というのは母の介護の時からずっと考えていたことでした。なんて言ってあげればいいんだろう、何をしてあげたらいいんだろう。どこまでやってあげていいんだろう。って。

大きな病気になったことの有る人なら分かるかもしれないけれど、やっぱりそれって本人にしかわからない気持が沢山あってそれをどこまで周りの人が汲んであげられるかってことなのかな・・・それより今までとなんら変わりなく接するべきなのかな・・・

私の中で答えは未だに出ていません。きっと病気じゃない人には思いつかないような沢山の葛藤とかがあって、それをすべて理解するなんて言うのは無理だろう、ただ想像できる限りの相手の気持を考えてあげるべきだとは思います。だからってそれに対して何かができるわけではないんだけど。なんとも無力さを感じるけれど私にできることはそれくらいしかないのかな。。。って。

私もお腹が日ごとに大きくなり、慣れない自分の体がどこまで無理ができるのか分からず、少し無理をしてしまうとお腹が張ってしまったり、ひたすら眠くて横になっている時間が長くなったりしています。(というか妊婦ってなんでこんなに眠いのでしょう。。。)

それを見ている旦那さまには心配をかけてしまうことになります。

でも今はできないことの方が多くても、これからできることが増えていくと思って頑張って欲しい。そう思います。今は力仕事ができなくたって、病気に勝ってくれれば、笑顔でそこに居てくれればそれだけで十分なんです。

きっとそんなんじゃ旦那さまは納得できないだろうけど、リハビリはゆっくりでもいい、焦ってケガするよりも、何よりも一番に日々を旦那さまと一緒に過ごせることが幸せで、それだけでいいやって思います。

今は本当に私も周囲の人に甘えてばかりだけど、それは旦那さまが病気に勝つこと、私が元気な子を産むことが第一優先で、恩返しはその後十分にさせてもらいます!って気持で。

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2006年9月18日 (月曜日)

妊娠生活

私の妊娠生活も6ヶ月目に入りました。

振り返ればいろいろあったなぁ~精神的にも身体的にも。

旦那さまの入院とほぼ同時期に妊娠が分かり、転移・手術・退院・転移を繰り返し、前の記事にも書きましたが染色体異常の可能性も指摘されて、そのたびにショックを受けて不安定な精神状態になりつつも、ここまで元気に育ってくれた。チビタは元気な子に違いない。と信じるのみです。

私の場合つわりは軽いほうだったみたいです。家族にも「軽かったね」と再三言われます。

ただひたすら吐いた。。。食べ物の嗜好が変わったりにおいがダメな食べ物があるわけではなく、なんでも食べられる。でも吐いちゃう。喉を傷つけたようで血まで吐いたときは少しびびりました。吐き癖がついてるのかも。とギリギリまで吐かない様に我慢したりしてました。

それでも動けなくなるほどでもなく、電車に乗っていてどうしようもなく気持悪くなって途中下車するようなこともなく、仕事にも行ってたしお見舞いにもできるかぎり行っていました。

仕事中はつねにムカムカ。耐えられないときだけ会社のトイレでもどしたり。病院では食堂のにおいが気になってましたが旦那さまは抗癌剤の副作用で同じように気持悪いのと戦っていたので二人で乗り越えられた感じです。

一月の流産の影響なのか、下腹部が常に痛くて動くのがつらい。できるかぎり歩きたくない。だから仕事もちょくちょく休んでました。

今はひたすら眠いです。毎日7時間寝ていても必ず昼寝を2時間ほど。下手したら食っちゃ寝状態。でも体が寝ることを望んでいるんだ、寝れば寝るほどチビタが育っているんだ、と言い聞かせてよく寝てます。。。

会社通いとお見舞いとつわりとで一番つらいとき、旦那さまの会社の人が「懐妊祝い」と言ってくださった本がありました。

とても素敵な本で一月の流産の時にもこれを読んでいたら・・・と思ったほどです。妊婦生活を送っている人にはぜひオススメな本です。

一時期は産むかどうかも迷ったりしました。でも妊娠生活も折り返しに入り、今は残り約4ヶ月を笑顔で過ごして、元気な子を産みたいと思います。

旦那さまの免疫療法も始まりました。ただただこの治療が効くことを祈るのみです。旦那さまとチビタと3人で笑顔で幸せに生活できるることを信じて頑張っていきたいです。

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2006年9月15日 (金曜日)

羊水検査結果

水曜日、旦那さまと一緒に病院へ行きました。

羊水検査の検査結果を聞くためと胎児に異常がないか超音波検査をするためです。超音波検査は20分近くも行い、心臓や脳、腎臓など内臓に問題がないかを細かくチェックしました。

私は映像を見ながら「よくできてるな~」なんてのんきに考えていました。一つの生命体が自分の体の中で育っていくのが未だに不思議な感じです。

検査後、主治医の先生に「羊水検査の結果、超音波検査ともに異常ないですよ」といわれ、ほっと安心。

今週から6ヶ月に入り、いよいよお腹も大きくなってきて、胎動もかなり感じます。よく動くし、元気な子だと確信しました。

実は今回の染色体異常の可能性については今通っている病院より前に行っていた病院で指摘されました。その日は先生に転院のお願いをしに行く日で、外泊許可をもらった旦那さまと一緒に病院へ行ったのです。7月22日、12週4日のときでした。

先生はあっさりと「首のうしろに浮腫が見えるから染色体異常の可能性がある。」といいました。私が「染色体異常ってどういうことですか?」と聞くと医学書のようなものを出して見せながら「ダウン症を考えといたほうがいいでしょう。転院先の病院で羊水検査をしてもらってください。」と言われました。

私は涙が止まりませんでした。一方で冷静に”もしそうだったら・・・産めない”とも思いました。旦那さまはこれからも病気と付き合わなければなりません。それは子供が産まれてからも私が仕事を続けていくことを意味していました。仕事をしながら障害を持った子を育てていくことに限界を感じてしまったのです。

旦那さまはこのとき5日後に切断手術を控えていました。自分のことでもつらい時なのに・・・旦那さまは私に「泣きな。」と言って沢山泣かせてくれました。

翌週、転院先の病院へ行きました。転院先の病院の先生は穏やかに説明をしてくれました。

・浮腫が見えたということはあくまで染色体異常の確率が上がったということ(浮腫が見えても元気な子を産んでいる人は沢山いる)

・確率は通常の人の3倍になること(30歳の場合0.01%の確率が0.03%になる)

・あなたの年でこの程度の浮腫が見られるということは35歳の方で浮腫が見えない場合と同じ確率であること(出産時の年齢が上がれば確率は上がるため)

・羊水検査で流産してしまう確率も0.03%ほどあること

「よく旦那さんと相談して羊水検査をするか決めてください。羊水検査の危険性と胎児が染色体異常の可能性がトントンであるため、怖いのは羊水検査で問題なかったのに、流産してしまった。ということです。」

先生の説明を聞いてかなり気持が楽になりました。前の病院で言われたときよりずっと冷静に受けとめられました。
前の病院で染色体異常の可能性があると言われた時は、何もかもが自分のせいのように感じました。旦那さまの病気も私のせいだと思いました。今思えば少し鬱状態だったのかもしれません。

旦那さまと相談して少しでも不安要素を取り除くために羊水検査をすることに決めました。羊水検査は16週~18週の間でなければできないため、検査前にも何度か超音波検査をしていました。超音波を見る限り元気に動いている赤ちゃん。
心配していた浮腫も少しずつ小さくなっていました。先生も「大丈夫だと思うけどな~」とココロ強い言葉を何度もくれました。(先生は旦那さまの状態も理解してくれています。)
羊水検査の前に先生に性別を聞いたのはこの時点で「大丈夫!」と信じていたのかもしれません。(チビタと呼んでいることからお分かりとは思いますが男の子です。)

羊水検査は17週3日、旦那さまが退院して10日後に日帰り入院という形で行いました。お腹の広い範囲をイソジンで消毒してエコーで赤ちゃんの位置を確認しながらお腹に針をさして羊水を取ります。最初の局所麻酔の注射が痛い。。。
画像を見ようとする私に先生は「見ないほうがいいかな。緊張すると赤ちゃんが動いちゃうから。動いちゃって針が赤ちゃんに刺さっちゃうと困るから」という事で顔を背ける私。あとで看護士さんに聞くと、針をさしている間赤ちゃんはじっとしてたみたいです。

検査後はしばらく病院のベッドで安静にして1時間置きに心拍確認をしてくれます。
赤ちゃんに問題がないとわかって入院して6時間後に退院しました。
この日、家の中でまだ自由に動けない旦那さまと検査後極力安静が必要な私のために義母が家に来て家のことをやってくれました。
そして病院の送り迎えをご近所さんが。
暖かい人に囲まれて私達夫婦は成り立っているのだと痛感した日です。

羊水検査が無事に終わり、その後服用する薬の副作用に耐えながら、検査結果が出るまで3週間。長かった・・・でも良い検査結果が聞けて本当によかったと思います。

羊水検査をすることは「チビタを信じていないことになる。」とも思いました。私がチビタを信じなくちゃだめなのに。って。だから羊水検査の結果が出たとき、私はチビタに謝りました。「ごめんね。信じてあげられなくて。」

細かい異常の可能性をあげたらキリがありません。あとは本当にチビタが元気に育ってくれることを信じるのみです。

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2006年9月 6日 (水曜日)

強くならなきゃ

「実はこの間のCTで肺に影があったんだよ。」

先生から話を聞いたとき、私は暗闇に一人取り残されたような感覚に襲われました。隣にいる旦那さまの表情は見えません。

10万人に2人と言われる軟部肉腫。そのなかでも症例数としては2%ほどしかないといわれる類上皮肉腫を体に抱えてしまった旦那さま。

この腫瘍の特徴は抗癌剤が効きにくいこと。そして転移しやすいこと。切断手術前の抗癌剤3種類はどれも効果的な結果はでませんでした。

その上で切断手術を決断し、必死に前を向いて再発を防ごうとしたところのショックな先生の言葉でした。先生からは抗癌剤をやってみましょう。とのことでした。珍しい腫瘍である以上、先生としては手探りで旦那さまに合う抗癌剤を探すということです。

肺への転移。それはどうしても受け入れられないことだけれども、命に関わることであると感じました。

私の姉からは以前より「肺へ転移してしまった場合には一人になることを覚悟しなくちゃいけない。」と言われていたのです。

でもこんなに元気なのに。そんな・・・旦那さまがいなくなっちゃうなんて・・・どうしても受け入れられない。信じられない。そんなわけない。覚悟なんてできるわけがありません。転移を聞いた日から今でも涙が止まることはありません。

私の母と姉からは肺への転移がわかった時点でお腹の子を「産むべきではない」とはっきり言われました。

それはもし一人になったときの私の苦労を考えての言葉です。それは分かっています。決して悪意がないことも。でも私にはそれを冷静に考えられる余裕なんてありません。

旦那さまのブログ(よにんべや)にもありましたが実は先月からお腹の子に染色体異常の可能性があることを病院から指摘されていました。旦那さまの手術前でしたが旦那さまが障害を持つことは既に覚悟していた時なので、障害を抱えて生まれてくる子を育てる自信が正直私にはありませんでした。だから羊水検査をすることを決めました。お腹の子を信じ切れなくて試すようなことだったし、流産の危険性もあったので迷いましたが旦那さまにも相談して羊水検査を受けたのです。そしてもし検査結果で悪い結果が出た場合は・・・あきらめようと思っていました。

まだ羊水検査の詳細な結果は出ていません。ただ先週病院に行ったところ8割方大丈夫ということでした。しかし不安がすべて払拭されたわけではありません。染色体異常の可能性の所見というのは胎児の首の後ろに浮腫が見られることなのですが、それがある場合第一に胎児の染色体異常の可能性、そしてもし染色体異常でない場合にも心臓奇形などの可能性も孕んでいるのです。もちろん浮腫が見えたとしてもまったく健康に生まれてくる場合がほとんどですが。(通常浮腫の所見は3ミリ以上で注意が必要ということになりますが、私の場合は3.3ミリでした)

でも羊水検査の結果が何も問題なければ生もうと決めていました。ただ母は染色体異常じゃなくても障害の可能性があるならあきらめて欲しい。というようなことを何度か言ってきました。そのたびに私は母と衝突しました。障害が100%ないと確証できることはありません。あとは子供を信じるしかないのですから。

母からしたら、もしも一人になったときに障害児を育てることは大変だから今回は・・・ということだと思います。母や姉の言うことも分かります。正直私ももしも一人になってしまったら健常な子であっても育てていく自信なんて今はまだありません。でも羊水検査で異常がないのならこの子をあきらめるということはどうしてもできない。旦那さまの遺伝子を残したい。

旦那さまにもすべてを話しました。母や姉が言っていることも。旦那さまは「おれは生きるよ」と言ってくれました。本人がこれほど前向きに病気と戦おうとしているときに私は何を言ってしまったのだろう・・・

姉の言うような覚悟なんて私にはできないし、まだ親として子供を育てていく自信もありません。でもなによりも旦那さまの子を今あきらめることはどうしてもできない。正直、気持がまだ揺れ動いているのも確かです。不安で不安でどうしようもなくて、怖くてたまらないのです。

でも旦那さまは、本人はもっと怖いと思います。私には想像できないほどの気持だと思います。

今でもふとしたときにどうしようもない恐怖や不安で涙が止まらなくなります。でももう旦那さまと一緒に病気と向き合って闘うしか道がないのです。

今回旦那さまには本当に申し訳ないほど、私は取り乱して泣きじゃくってしまいました。旦那さまからしたら自分の方が・・・というときなのに。。。

ごめんね、今はまだ強くなりきれていないけれど、旦那さまを支えて行くから。もう少し時間をください。私も強くなるから。チビ太(お腹の子を旦那さまはこう呼びます)も頼りないお母さんでごめんね。でももう少し時間をちょうだい。ちゃんと強くなるから。

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