2007年2月23日 (金曜日)

帝王切開って!

初めての入院そして初めての手術。

まさか帝王切開になるとは・・・

周りからは「陣痛の痛みと手術の痛み、両方を味わうなんて・・・つらかったよねぇ。」とよく言われます。

あの陣痛の痛さ・・・術後は陣痛の痛さは忘れない!と思っていたけど、今となってはなんとなく忘れてしまっています。ただとにかく痛かった!ってことは覚えていますが・・・どんな痛みだったかなんてもう忘れちゃいました。(産婦ってもの忘れが激しくなるらしいです。そうじゃないと一日に何度も繰り返し続く授乳とオムツ替えに耐えられないからだとか・・・笑)

ただ陣痛の最中は痛くて痛くて、多くのお母さんはこの痛みに耐えて出産してるなんてすごいなぁ。と思ったのを覚えています。しかも4センチであの痛み・・・これが9センチまで開くころにはどんなことになっているのか・・・

自然分娩しか経験していない人は、「手術の方が術後が大変で痛いんでしょ?」と言います。確かに術後は熱も出るし痛みもあります。お腹を10センチ以上も切っているんだから当たり前ですが・・・

でも術後の痛みは覚えているけど、陣痛の痛みはどんなだったか覚えていない。やっぱり陣痛って特殊な痛みで、忘れられる痛みなんでしょうか・・・じゃないと何人も子どもを産めないか・・・なんてことを考えてしまいます。

帝王切開で大変だったこと・・・

術後は丸一日絶食。水分を取ることも禁止されました。許されたのはウガイのみ。旦那さまが最後の入院のとき、同じように絶食となり水分補給も制限されたことを思い出しました。私の場合はたった一日だったけど、それでもやっぱりつらかった。旦那さまはこれが何日も続いたのです。そのつらさたるや・・・涙

私が行った病院では普通分娩の場合は出産当日、または翌日から母子同室となります。でも帝王切開の場合は術後2日目以降でないと同室にさせてくれません。赤ちゃんと離れている時間がひどく長く感じました。術後の痛みから動きがとれない自分をもどかしく思い、早く動けるようにならなきゃ。と少しあせりました。

もちろん授乳もできず・・・

時間がたつにつれて自分の身体につながれている点滴などの管がはずされていくことに喜びを感じつつ、少しずつ歩く練習をしました。あとは傷が痛くて笑えない。お腹に力を入れられない。しばらくはくしゃみをするのも怖かった・・・笑

今思うのは思いがけず手術になってしまったけれど、いわゆる“産みの苦しみ”も少しだけ味わえたことはよかったかなということです。

ただ問題になったのが、2月1日に手術、普通分娩で6日か7日に退院する予定が、帝王切開となったために助産師さんから言われた退院日は2月10日だったことです。

ん!その日は49日法要・・・

当初2月10日の法要にあわせて計画出産にしたはずが・・・まさかの帝王切開で入院期間が延びてしまったのです。先生にすぐに相談。「経過が順調であれば一日だったら早く退院していいよ。」と許可をもらったので、退院診察を問題なくクリアして一日早く退院させてもらいました。

退院日、母に迎えに来てもらって家に帰りました。

「おうちにかえるよ~。あ、でも帰るって言っても君は初めてか~」なんて話ながら自宅へ。

実はこの日は旦那さまの誕生日でした。母にお菓子屋さんに寄ってもらい、旦那さまの好きなチョコレートケーキを買って帰りました。旦那さまの誕生日に私はチビタと一緒に家へ戻ったんです。なんだか運命的なものを感じずにはいられませんでした。

10日ぶりに見た遺影とお骨。帰ってすぐ祭壇の前にチビタと一緒に座った瞬間、どうしても涙が止まりませんでした。

「ただいま。チビタ、元気に生まれてきてくれたよ。見守ってくれてありがとう。逢いたかったよね・・・抱きたかったよね・・・」旦那さまに話しかけました。

「パパだよ~」チビタにも話しかけました。

家でチビタを抱っこしていると私の肩越しに空を見つめているときがあります。

「パパいるの?見えてるの?」と思わずチビタに問いかけてしまいます。

退院翌日、住職に家まで来て頂き、親兄弟だけのささやかな49日法要を行いました。お経はやっぱり聞くと寂しい気持になります。旦那さまが遠くへ連れて行かれてしまうような感覚にとらわれるからです。

無事に49日法要も終わり、なんとなく肩の荷が下りた感じがしました。ほっとして気が抜けたという感じも。暫くは実家の両親が家に居てくれます。でもいよいよ旦那さまの居ない生活というのを実感してきました。今までは正直それどころじゃなかったのかもしれません。

すろぅらいふさんから子どもの名前についての話がありましたが、実は旦那さまはきちんとチビタの名前を決めてくれていました。2人で名前何にしようか・・・と考えていたときに、旦那さまの名前から一文字もらって子どもの名前を決めていたのです。旦那さまの好きな海と風を感じられる名前です。

そしてさらに旦那さまは名前を習字で半紙に書き残してくれました。その書いているときの映像も残っています。この半紙はチビタが大きくなってから映像とともに見せてあげようと思っています。

2006年、いろいろなことがありました。2007年、新しい命が生まれてくれました。

愛する人を失ったけど愛する人が生まれてくれました。

正直、旦那さまのところにいきたい、なりふりかまわず旦那さまのあとについていけたらどんなに楽か・・・と何度も思いました。でも今は、私は生かされているのだと、チビタと一緒に強く生きていかなければいけないと、自分を奮い立たせて前を向くことができています。

沢山の方に心配&励ましをいただきました。顔も知らないブログ上だけの方にも本当に励まされました。すべての方にココロからお礼申し上げます。ありがとうございました。そしてこれからも私とチビタを見守ってください。よろしくお願いします!

おせっかい姉さん、コメントありがとうございました。チビタを連れて出歩けるようになったら一度ご挨拶に行きたいです。

あと、「よにんべや」に何度かコメントをくれてたスパルタNsさん、このブログ見てくれてるかなぁ。そちらにももう少し落着いたらご挨拶に行きますね。

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2007年2月20日 (火曜日)

無事に!!

ご報告が遅くなりましたが、おかげさまで2月1日に無事元気な男の子を出産しました!!

この出産もまた・・・ドラマチックでした。。。笑

当初の予定通り、1月31日に入院。

この日は特別な処置はなく、先生からは「明日に備えてゆっくり寝てください。眠れないようなら眠剤を出すけど?」とのお言葉。

また、立会い出産ができるように手配してくださっていた病棟の師長さんから「いろいろ大変だったね・・・がんばったね。」と。

さらに担当の助産師さんからも「ソーシャルワーカーと面談をしてみますか?」とお話がありました。先生からすべて聞いて状況を理解してくださっていたので、皆が私を気遣ってくださっているのがわかりました。

旦那さまが亡くなってからいろいろな手続きに追われていたのが、ようやくひと段落ついて初めて一人で夜を過ごしました。

病院のベッドで明日の出産に対する不安よりも、「あ~本当に(旦那さまは)居ないんだ・・・ 一人で出産しなくちゃいけないんだ・・・」としんみりとして涙してしまいました。

結局緊張もあってかこの日はあまり眠れませんでした。

2月1日。朝早くからLDR室に移りました。

すぐに栄養剤と促進剤の点滴が始まり、お腹には赤ちゃんの心拍とお腹の張りをモニターする機械をつけました。

そして1センチほどしか開いていない子宮口を開くために水風船を入れました。この水風船は子宮口が4センチくらいまで開くと自然に抜けるというもの。しかしこの処置だけでも痛い・・・

既に促進剤の影響で5分おきくらいに陣痛が来ていました。水風船も抜けて、子宮口も4センチまで開きました。ここまでは順調だったんです。

先生も「うん、順調、順調。でもいつでも無痛に切り替えてもいいからね。ただ準備があるから無痛にしたくなってから1時間はかかるよ。だから早めに言ってね。無痛分娩にすることであなたが負い目を感じることはないんだから。痛みの感じ方は人それぞれなんだし。」

先生は年末から心身ともに疲れている私を気遣って私の体に負担の少ない出産を勧めてきてくれていたのです。出産後すぐに49日法要も控えていたので極力体力を消耗しない方法を提案してくれていました。でも私はできるところまで自然でしたい。と言っていたのでこの時点では「まだ、がんばれます。」と答えていました。

朝から母が来てくれて陣痛がきては腰をさすってもらいました。

陣痛が4分おきくらいになって痛みもかなりのものに。。。私の場合は陣痛とともに吐き気もあって、朝食に食べたものを何度か吐いていました。そして陣痛のたびに呼吸が乱れてしまう私に助産師さんが「息吐いて~」と呼びかけてきます。腕に力が入りベッドの柵を叩いては痛みに耐えていました。

何度か先生が診察に来ました。内診するたびに痛くて、先生に「もう内診しないで~」と泣きを入れたものの、「そんなわけにいかないよ」と一蹴。

陣痛の合間にうとうとしつつ、ひどくなる痛みに耐えていた頃、母と義母は先生の診察のタイミングでお昼を食べに行ってしまいました。

陣痛は次第に強くなり、誰かが腰をさすってくれないと居てもたっても居られず何度もナースコールをしては腰をさすってもらいました。

そしてまたも先生の診察・・・「いたぁ~い~~」と叫ぶ私を横目に先生は「う~ん開いてないな~。まだまだ、これからだよ~」と。

痛みは強くなるばかり。それでもその後3時間子宮口は開かず・・・

先生は「陣痛微弱だなぁ。」

私もいよいよ「無痛にしたい・・・」と先生にお願い。

このときでした。陣痛が来たタイミングで赤ちゃんの心拍が下がって戻らなくなったのです。先生があわてて「切開だ!」と。

もう痛みがひどくて何の説明をされたのかよく覚えていませんが、後で先生に聞いた所、陣痛というのはやはり赤ちゃんにとってもストレスらしく、心拍は下がるものだけど、それが戻らないというのは危険で、子宮口が4センチしか開いていない状態でこうなってしまうと、これからさらに陣痛が強くなったときにそのストレスに赤ちゃんが耐えられるか、そしてその時にあわてて切開しても間に合わない場合があるそうです。“母子ともに安全に”とういことを第一に考えると、このタイミングで帝王切開する必要があったようです。

母も義母も食事していたところを呼び戻され、「切開です」と言われ、その後LDR室に沢山の助産師さんが出入りするのを見て慌てたようです。

陣痛の合間に手術の準備が進められました。手術の麻酔は赤ちゃんが出てきたときに会えるようにと全身麻酔ではなく下半身のみの麻酔となりました。この麻酔の注射も痛くて、調度陣痛と重なってしまい、それでも「動いちゃだめ!」と言われ本当に泣いてしまいました。

あっという間に手術室へ移動して、麻酔が効いて手術が始まってからは落着きを取り戻し、淡々と進む手術と先生の声を聞きながら手術台の上で色々なことを考えていました。

麻酔の影響か、無事子どもが生まれてくるかの不安からか、指先の震えが止まりませんでした。先生に「寒い。寒い。」と言いながら手術台の上で手術の時間を刻む時計を眺めていました。

手術が始まって2分が過ぎた頃、先生が赤ちゃんを取り出したのが見えました。このとき産声が聞こえたかどうかは・・・覚えていません・・・

チラリと赤ちゃんを見せてくれました。でも赤ちゃんは早々に別室へ連れて行かれてしまいました。

ようやく我に返り、「先生、赤ちゃん、ちゃんと泣いてる?」と聞きました。先生は「大丈夫だよ。今扉が閉まってるから声が聞こえないだけ。」と。

手術はまだ続いていました。でも私は赤ちゃんが産湯から戻ってくる間、不安で不安でどうしようもありませんでした。五体満足に生まれてくれているんだろうか?

旦那さまの発病とほぼ同時の妊娠。闘病生活と旦那さまが亡くなったショック。精神的にも身体的にも負担が大きく、赤ちゃんが元気に育っているのか?それだけがとにかく心配でした。この約10ヶ月間、ずっとず~っとその不安に襲われていました。

早く元気な赤ちゃんを見たい。早くこの不安から解放されたい。

手術の途中、先生が「足が・・・」と言っていたのが聞こえたのです。怖くて「何?」と聞けませんでした。この目で赤ちゃんを早く見たい。元気であることを確認したい。

ようやく産湯から赤ちゃんが戻ってきました。「元気な男の子ですよ~」と新生児科の先生が見せてくれました。

よかった。本当に元気な子だ。傷口の縫合など、手術がまだ進む中、安心と子どもが生まれた喜びから涙が溢れました。瞬間的に「あ~宝物だな~」と。

あとで聞いた所、先生のあの気になる「足が・・・」というのは、へその緒が足に巻きついていたらしいのです。そのために陣痛が来てもなかなか赤ちゃんが降りてこられず、お産がうまく進まなかったのでは?ということでした。先生脅かさないでよ~

考えてもいなかった帝王切開での出産。それでも何より無事に元気に生まれてきてくれたことにココロから感謝しました。「ありがとう。生まれてきてくれてありがとう。」

術後は体を起こすこともできなかったため、子どもを隣に寝かせてもらい、顔を見つめては旦那さまの面影を探しました。本当に天使だなぁ~

これからの生活に不安と期待を持ちながら術後の発熱もあってこの日は深い眠りに落ちました。

既に生後19日、子どもは元気に育っています。今は授乳・オムツ替えの繰り返し。夜もなかなか寝てくれません。それなりに大変です。でも子どもの顔を見てるとつらいことなんてなくて、私が元気づけられるばかりです。

これからの子どもの成長が何より楽しみ。これから大変なことが一杯あるだろうけど、旦那さまが見守っててくれる。それがココロの支えになって、そして子どもの笑顔に励まされてがんばっていけると信じています。

これからこのブログは育児日記になりそうです。笑

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